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皆様のご要望にお応えさせて頂き、二村康太の誕生日おめでとう!の

物語原稿を掲載させて頂きます。宜しくお願いします。                                                                                                     

2030年10月のある日

○グラタン屋がこんなに流行るとは思わなかったなあ。

彼は二村康太 あの株式会社サルの副会長。

数々の事業展開を世界的に展開行う会社の副会長である。

グループ総売上500億円を超える中堅企業だ。

彼は設立メンバーの一人。

グループ会社の一つで、今伸び盛りの「株式会社サルのグラタン」代表取締役を兼務している。                       

○そして彼が今いるのは「サルのグラタン」インド•デリー支店である。

日本でインドカレーグラタンを始めたところ、これがヒット。

北は北海道、南は沖縄まで「サルのグラタン」チェーン店出店が相次いでいる。

当時の「餃子の王将」をしのぐ勢いだ。

それが、とうとう本場インドに出店をするという事になった。

インドカレーグラタンの次のメニューのヒントを模索しているという事も

あるが、ブランディング狙いのところが大きい。

ただ、初めはインド在住の日本人をターゲットに、デリーで始めたのだが

地元インド人にも人気を得つつあり、ガンジスにも出店を行ったばかりだ。

20年前とは比べ物にならないくらい、インドと日本の交流は発展し、

アメリカと中国のGDPを抜いたインドと一番近い存在になっているのが日本というわけである。
                                                                           
○20年前に起きた沖縄県の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件に端を発し、

海底に潜む石油資源を狙った領土争いが加熱し、日本だけでなく

東南アジア、ロシア各国との争いの末、中国は6割ほどの争いに勝利した。

当然アメリカも、中国に資源を集中させてはいけないと、各国の支援に回った。

中国の外交はやくざのようなやり方で、経済制裁を中心に横暴な外交を続けた結果、

中国に進出していた各国の企業は、撤退を余儀なくされ、その後世界的に信頼を失った

中国は結局孤立してしまった。

ま、現状の世界情勢については皆さん周知の事なので

この辺で話を戻そう。                                                     
   
○株式会社サルは、時をさかのぼること、22年前に設立された会社である。

現会長の魚住琢と副会長の二村康太が、二人で考えた会社名が始まりだった。

日本人以外の人がみてもパッとわかる会社名、漢字で表現して解りやすいもの

ということから生まれたのがサル。

サバイバルするための知恵を象徴していて、いい名前だ。                                        

○初めはwebマーケティングを中心に展開し始めたが、粗利率の悪さから

web制作を中心に展開。

半年ほどして、今では著名なイラストレーターの丸山良子さんと

福島支社長を担っている五十嵐えりさんが参画してくれた。                                       

○その後、現、代表取締役の湊谷幸司、

そして、

サルのサービスのマーケティングの全てを担う石田実取締役、

沖縄支社長の小西教仁

が参画し、もうずいぶんと長い関係だ。                                               

○web制作会社としては、まずまずの走り出しだったが、

受託ビジネスには限界があった。

もう一つの柱をつくるために当時伸び盛りであったソーシャルアプリ市場に乗り出す。

本格的に乗り出したのが2010年、その年、沖縄支社を設立。

沖縄をきっかけに、サルは一気にスターダムを駆け上がることになる。                                  

○web制作市場の単価は、下降線だった。

制作会社においては、勝者と敗者がはっきりと出始めたときだった。

ポイントは、                                                         

○顧客の営業課題を解決するアイデアの提供                                             

○高いクォリティを維持したスピード対応                                             

○コミュニケーション能力に優れた集団                                              

○高粗利体質のためのオフショア活用                                               

などが上げられる。
                                                                 
○サルにおいては、沖縄事業所を設立したことによって上記全てを

まかなえるに至った。

更に、ザ、下請け仕事は、断る勇気と断っても収益が圧迫されないよう

多角的事業を展開している事が功をなした。

ただ、何においても、中心メンバーのモチベーションが高く、

自己を超えて、集団の利益を追求するメンバーしかいなかったのが

最大のポイントだろう。                                                     

東京と沖縄で遠隔で事業を展開できたことが、この頃のサルにとっては自信になった。

沖縄開発室という名前の通り、デザインはもちろんのこと、エンジニアによるサービス開発

が当たり始めた。気がつくと、沖縄ではそこそこ有名な会社となり、人材が集まる仕組みが

出来上がった。                                                         

○サルが、本格的に世に出始めたのは2012年。

それまでも数々のアプリをリリースしてきたが、

その年、アプリでホームランを打つ事になる。

その頃、二人に一人はスマートフォンを持つ市場が出来上がっていた。

根強くiphone人気はあるものの、android端末が各社破竹の勢いでリリース

された結果、スマートフォンの約7割をandroid系端末が占めるに至った。

当然女性の利用者も増え、サルは女性に愛されるアプリを作る事に成功した。

そのアプリを中心に、知名度も一気にあがり、

その翌年2014年にマザーズ上場を果たした。                                            

○急な成長ということもあり、多くの人が入っては辞めていったが、

それを期に、経営陣は多くの事を学び、また一つ、サルの文化が明確になっていった。

ある著名な経営者が言った

企業の衰退はイノベーションの欠如と自己満足が原因と感じるが、

真実は逆。行き過ぎ、成長が速すぎたことが原因になっている。

と、

確かに。

ただ、正しい成長スピードを計る事はとても難しい。

一つ言えるのは、結局は残ったメンバーが企業文化を作っていくんだ。

そして、経営陣は、その事態を謙虚にうけとめ、学ばなければならない。                                 

○株式会社サルは、上場を期に、よりパブリックな会社へと変わっていった。

経営陣にとって、上場は、ショッキングな出来事だった。

嬉しさはあるが、多くの責任を抱える事で、本当に自分たちがやるべき事は

何なのかと考えなければならなかった。

ただ、少なくとも仕事を通して、自己実現を実感し、働くメンバーもそれを

なし得ていくのを見ることで、今までやってきて良かったと心の底から思う事ができた。                          

○2020年 二村 42歳                

上場企業の副社長として、日々奮闘してきた彼だが、いつの間にか40を過ぎた。

昔、経営者の先輩がよく言っていた。

「40を過ぎると死ぬ事を意識するから、単純なご飯もどうせなら

おいしいモノを食べよう。できるだけ貴重な経験をしようという

意欲が全然違った次元で強くなる。」

今なら、その言葉の意味がよく分かる。                                             

色々な問題は起きるものの、今のサルは、優秀な役員陣がもり立ててくれる。

二村は考えた。

「そろそろ、昔からやりたかった事をやってもいい時期ではないか?」

今までは、短期間で収益を上げるビジネスを選択し、

そこで結果を出す事に喜びを得ていた。

結果を無視したことをやりたいという訳ではない。

収益を上げる事は、自分が純粋に遂行したいことである。

ただ、黒字化し、収益を伸ばす段階にうつるまでの期間を

もう少し長くしても、納得するまで、チャレンジしてみたい事がある。                                  

○二村は、代表の魚住に相談する。

「グラタン屋をやりたい。」

その頃、魚住は、年の半分を海外で過ごす程、海外事業に力を入れていた。

グラタン屋の話は、昔から聞いていた。

ただ、サルとしては、まだまだ、やりたい事が多くあった。

そのやりたい事のうち、二村にやって欲しい事はたくさんあった。

グラタン屋という、既存ビジネスとは異なった

一から作り上げなければならないビジネスモデルなだけに、

中途半端では、株主が納得しない。

納得してもらうためには、二村に全力投球してもらうしかない。

ただ、そもそもの約束が二人にはあった。

40歳までは、収益を第一にビジネスを展開しよう。

そして、各個人10億円づつは貯蓄をもって、

40歳からは好きな事をビジネスにしよう。

と。                                                               

もう2年も過ぎている。

収益の目標は、ゆうに達成する事ができた。

あとは、好きな事をやり抜く事だけだった。                                             

魚住は、約束はもちろんのこと、そもそもやりたい事を我慢してまで

何かをやるというスタンスが嫌いだった。

その人のパフォーマンスが、120%発揮されないし、

人の一生は短い、新しい事を始められる年齢となるともっと短くなる。

そもそも、完全に自立した自由を手に入れるために始めた起業だ、

やりたい事ができないようじゃ意味がない。

「じゃあ、こーたが代表になってグラタン屋をやってくれ」

ここから二村の「サルのグラタン屋」が始まる。                                                                                                        

今までのビジネスモデルとは、全く違うため、

今までの経験が活きるまでに時間がかかった。

初めは、どうしたらいいかわからない事が多かった。

ただ、そういった中でも持ち前の、楽観的脳みそで楽しく過ごすのであった。                                                                                           

サルは、

•地方の若者を就職支援する教育事業

•地方の地域活性化事業

•EC

•デジタルテレビコンテンツ配信事業

•ソーシャルゲーム事業

•スマートフォンコンテンツ配信事業

•世界的リゾートペンションとパーティ運営事業

•投資事業

•飲食店事業

など数々の事業を多角的に経営行っていった。

技術、商品、人のニーズの移り変わりの激しい時代、

そして、個々のニーズの多様化が進んだ時代では

多角的に事業を展開する事がとても重要であった。

そういった意味で、サルの中には、常に新しい風が吹き続けた。

スリルと活気に満ちた人生を歩む事ができた事に、

魚住も二村もとても感謝していた。                                                                                                               

○「サルのグラタン」 インド•デリー支店

「浅草でシンユウは、元気にやってるかな、

そろそろ、一度、家に帰ろうか?

ねえ、ちあきちゃん。」

大の浅草好きの息子はもう20歳になる。

妻のちあきも、浅草が好きなので基本的には浅草の実家にいるが

年に何回か、比較的長期間、二村の世話をしにやってきていた。

寂しがりやの二村が家族と離れるなんて、当初は信じられなかった。

「あれ?ちあきちゃん?」

「おーい。」

「おかしいなあ、どこいったんだろ?先に家に帰ったかな?

店の掃除やって帰るか。」

と、お店に入った瞬間。                                                                                                                    

パーン、パーン、パーン!

クラッカーの音が鳴り響いた。

「うわ!?」「え?」

「せーの、誕生日おめでとう!!」                                                                                                              

そう、今日は二村康太、52歳の誕生日2030年10月15日である。

そこには、創業期からのメンバー

魚住琢、丸山良子、五十嵐えり、湊谷幸司、石田実、小西教仁                                   

ならびに沖縄支社創業メンバーの

長嶺亜希、吉田あかね

そして家族の

ちあき、シンユウ

が皆、インドデリー店に集まっていた。                                                  
 
「え?みんな来てくれてたの?

あ、今日俺の誕生日だっけか?

うわー、びっくりしたよ。

久しぶりの顔ぶれだなああ。

このメンバーで集まるのすごく久しぶりじゃないか!?

わざわざ、有り難う!

うわー、すごく嬉しいよ」

確かにこのメンバーが全員集うのは、もう何年もなかった。

その夜は、久々に創業期の話で持ち切りになった。

「みんな、年もくったし、変わったなああ。

なんか立派になっちゃって。」

という二村の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

二村の脳裏には、荻窪の駅前にある居酒屋での出来事が浮かんでいた。

そう、魚住とサルをやる決意をした時だった。

あの頃、こんな未来を描く事はできなかった。

でも、人生は不思議だ。

志をもった時から、あらゆる物事が動き始めた。

どう説明しても運命としかいいようがない出来事に何度も遭遇した。                                                                                              

失敗や辛い経験もたくさんあった。

ただ、それらの辛い経験全てが、

その後に訪れるチャンスをモノにするために必要な事を教えてくれた。

これから残り死ぬまでだって、何が起きるか解ったもんじゃない。                                    

ただ、二村は、

今夜のような一瞬、一瞬がとても大切で、

深い充実感を与えてくれる事に感謝した。

今二村には、22年前の頃の若さはないが、

人生に対する深い自信があった。

どこにいても寂しくはない。

家族と、仲間とそして、何より自分自身と深く繋がっている実感がある。

自分の人生を深く愛していた。

その深い充実感を彼は関わる人々に伝えていきたかった。

人生の幸せは既に自分の中にある事を。

志と気づきがあれば、深く人生を愛せるようになる事を。

人種を超えて、国境を越えて。

まだ、二村の人生は終わらない。

この幸せな人生を死ぬまで味わい尽くすことだろう。                                        

fin

2010年10月15日

二村の誕生日を祝って

sal一同

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誕生日祝ってもらいました。

Category: その他 - Posted by at 2010/11/05

会社のみんなに誕生日を祝ってもらいました。

段ボール箱2つを渡され、開けるとタブレットPCのようなものが。

中国製のipadのようなものだというので、おもしろがってスイッチを入れてみると
ムービーのアイコンがいくつも入ってました。

それを開いてみると、なんとこんなムービーが!

未来の二村と申の紙芝居を作ってくれました!
思い起こせば2年半前、申という名前をつけた居酒屋での出来事は遠い思い出のようだけど
この紙芝居の未来になって、設立のころを思い出す感動はひとしおなんだろうな。

涙が出る程感動して、ふつふつとやる気がみなぎる紙芝居だったわ。

自分以外は感動はしないと思うけどね。

絶対グラタン屋やるぞ!

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